第29回:さあ、花見だ。
花見の季節である。僕が勤めている重度知的障害者施設「麦の穂」も花見をやる。もちろん。ただしにぎやかな所が苦手な人もいるので花見の時期を外し、正確には葉桜見。ぎりぎり八重桜見といったところか。でもそんなことは関係ない。公園でお弁当を広げワイワイ楽しめば満足。そのお弁当もいつもの給食を重箱に詰めただけなんだけど、要は気分の問題だ。 さあ花見だ。実は一番張り切っているのはこの私。なぜなら音楽会があるから。得意になってギターを鳴らし、季節の歌、古いフォーク、流行りの歌を思いきり歌う。何を隠そう、私は○十年前のフォーク少年なのだ。だけどAKBもちゃんと弾く。「恋するフォーチュンクッキー」でみんなが踊ってくれたらサイコー。 意外と思うかもしれないが、一番ノリがいいのは難聴の人。私の女房が働いている知的障害者施設でもそうらしいが、難聴の人には音楽好きが多い。カラオケに行けば物怖じせずに力いっぱい歌う。前に難聴者ばかりの少女合唱団の練習風景を記録映画で見たことがあるけど、全員見事に調子外れなのに天使の歌声に聞こえた。(もっとも、映画の舞台が欧州のカトリック教会だったせいもあると思う) 話がそれた。とにかく花見だ。さあ、ギターの練習をしなくちゃ。
【えくぼ第11号(2017年4月1日号)】
第30回:故郷は変わる
最近は故郷の南相馬市小高区に頻繁に帰っているが、その度に変化していく街を実感している。空き家がどんどん解体されて更地になり、街が消えていくような勢いだが、一方で新築や改築された家も多い。僕の実家も建て直したが、両脇の家がなくなって、まるで空白地帯の一軒家だ。 夜はやっぱり人けがない。けれど、人が住んでいれば空気は違う。無人地帯だった頃と比べれば温もりが戻ってきた気がする。夜の街を練習帰りの高校球児が自転車を連ね、駅を目指して走り抜けていく。朝になれば、犬を連れて散歩するおじさんやおばさんに出会った。「あらら泉ちゃん!」と、昔なじみのおばさんに思いがけず声をかけられたり。 「人が少なくてもいいのよ、住んでる人の顔が明るければね」と、旅館のおかみさんは笑みを浮かべた。「ゼロに戻って、ここからがスタートだと思えば逆に楽しいじゃない。昔からのしがらみが解けて、やりたいことをやれるんだと思えばね」 僕の実家の向かいは昔の同級生の家なのだが、そこを作家の柳美里さんが買い取って、本屋兼カフェ始めるという。柳美里さんは何年も前から隣の原町区に移住して復興を支援して下さっていた。噂には聞いていたけど、まさか実家の真ん前とは。なんだかわくわくする話じゃないか。
【えくぼ第12号(2017年5月1日号)】
第31回:水を見る
自閉症の人には「水が流れているのを見るのが好き」という人が多く、僕の職場でも、人が流し台で洗い物をしている様子をじっと観察したり、紙漉きをしていても漉き枠から流れ落ちる水に興味を示す人がいる。 以前、日帰り旅行で横浜港遊覧船に乗った時に、船の横から湧き出る泡を航行中ずっと見つめていた利用者がいて、僕は写真に撮ったのだが、その眼差しは無垢で真剣で、まるで自然科学者か哲学者のようなのだ。 なぜかはわからない。かく言う僕も、波の立つ海なら一日中でも眺めて飽きない。それは僕が海の近くで育ったこととも関係するかもしれない。海を見ていると頭が空っぽになる。空っぽになりながら、同時に満たされてもいる。こんな感覚になれるのは海を見ている時以外にない。 自閉症者の東田直樹はエッセイ集『跳びはねる思考』(イースト・プレス)で、「水は僕にとって、故郷のような存在です」と書いている。「心の奥から湧き出る喜び」、「『大丈夫だよ』という地球からのメッセージが聞こえてくる気がする」、「地球が僕の思いを受け止めてくれるような安心感を与えてくれます」などなど。 人でないもの(自然)にやさしさを感じる感性は大切で、これがないとこの世界はぎすぎすして非常に生きづらいものになる。それは自閉症者もそうでない人も同じなんじゃないかと思うのだ。
【えくぼ第13号(2017年6月1日号)】
第32回:続・水を見る
前回のコラム『水を見る』の原稿を書き上げた翌日は小雨のそぼ降る日だった。「麦の穂」の利用者さんとあいとぴあセンター館内を散歩し(階段の上り下りがなかなか侮れない運動になる)、ひと休みしようと二階のホールに入ると、同じあいとぴあせんたーで働くAさんが車椅子の青年と並んで、窓から外を眺めていた。 「何を見ているんですか?」と声をかけると、「雨を見ているんです」とAさんの答え。「彼は水を見るのが好きなんですよ」確かに、車椅子の彼は一心不乱の眼差しで路上を凝視している。 僕は昨夜『水を見る』に、自閉症の人は「水が流れるのを見るのが好き」と書いたばかりだったので、この偶然を面白いと思った。「特に波紋が好きなんです。水の円が広がっていく様子が。放っておくと、いつまでも飽きないで見てます」とAさん。そして「利用者さんの癖がうつってしまうこと、ありませんか。僕まで水を見るのが好きになっちゃいました。一日中だって見ていられますよ」と笑った。 さらなる偶然。僕は『水を見る』に、「波の立つ海なら一日でも見ていて飽きない」と書いているのだ。こういう偶然に特別な意味はないし、Aさんと僕とで単に「波長が合った」だけかもしれないけれど、人生を面白くするのはこういうささやかな偶然ではないかと思うのだ。
【えくぼ第14号(2017年7月1日号)】
第33回:女房の額に何かいる?
ある日のこと、女房が前髪を掻き上げ、「私の額に何かいるかもしれない」と言い出した。僕の女房はおでこが広い。しかし目立って広いわけではなく、際立った特徴もない。どちらかといえば平均的なおでこだ。もちろん、見たところ何もいない。少なくとも肉眼では見えない。 女房の話すところによれば、女房が働いている町田市の知的障害者施設の利用者さん(女性)が、最近やたらと女房の額を気にするという。無遠慮に顔を近づけてのぞき込む。その様子が、まるで額にいる「何か」を凝視しているかのようなのだ。彼女にだけ見える「何か」がいるのかもしれない。いたとしても僕は驚かない。もしいるのなら、なるべく「いいもの」にいて欲しいと願うだけだ。 後日、女房は「その人、私の髪の生え際を見ているのかも」と訂正した。「最近、その人は『生え際』に興味を持ってる」らしいのだ。ある種の知的障害者の方は、特定の何かに強いこだわりを持つ。「生え際」にこだわる人がいても不思議はない。なぜ「生え際」なのか、という問いは愚問というべきだろう。それは他人には(本人にも?)永遠の謎なのだ。 そういうわけで「女房の額に何かいる」説はあっけなく否定された。しかし僕は、ネス湖のネッシーを未だに信じている人のように、胸中ひそかに「何かいる」説を信じている。僕もけっこう、こだわるタイプなのだ。
【えくぼ第15号(2017年8月1日号)】
第34回:虫を愛でる人
作家の柳美里さんが実家のお向かいに引っ越してきた。書店&カフェを開く予定だという。ちなみに私の実家は福島県南相馬市の小高区。柳美里さんは原発被災地の支援のために定住したのだが、買い取った家というのが僕の同級生、幼馴染みの家だったのだ。いやはや、偶然とは不思議なものだ。 お盆で帰省した折、女房と一緒に柳美里さん宅へ挨拶に伺った。同じ作家とはいえ彼女は芥川賞作家。人気も実力もある。いささか緊張していたのだが、彼女はとてもフレンドリーに迎えてくれた。というか、もうすでにご近所つき合い。 幼馴染みとの思い出話などで大いに盛り上がったのち、話題は柳美里さんの趣味の話へ。そう、彼女は虫が大好きなのである。子供の時は肌がかぶれようとかまわずに毛虫を捕まえて遊んでいたという筋金入り。今でも毛虫を飼っているそうで、割り箸の先にぶら下がったサナギを見せてくれた。小指の先ほどの茶色いかたまりで、じっと動かないのに生命力を感じさせる。考えてみれば、この中で生命がまるごと生まれ変わろうとしているのだから、凄いことなのだ。原子力だの人工知能だのと偉そうなことを言っても人間は足元の自然にかなわないのだ。でもこれは、原稿を書いている今になって考えたことで、その時はただ、サナギって可愛いと思った。 サナギを可愛いと思い、柳美里さんをほんの少し理解できて、さてこれからどうなるのだろ
【えくぼ第16号(2017年9月1日号)】
第35回:チェルノブイリに行ってきた
唐突ですが、チェルノブイリ・ツアーに参加し、原子炉を覆う巨大シェルターと関連施設、周辺の廃墟を視察し、廃村に戻った村人やサナトリウムで保養する子供たちと触れ合ってきました。全てを語るにはこの紙面をぜんぶ使っても足りないくらいです。 そこで、強く印象に残ったサナトリウムの話をします。ベラルーシ共和国にある「希望21」です。ここは汚染地域に住む子供たちが(病気がなくても)3週間、安全な場所で心身を保養する施設です。移動はクラス単位、無料です。 施設に到着した時、子供たちが宿舎の窓に集まり屈託ない笑顔で手を振ってくれました。身体に異常のある子もない子も分け隔てなく、安心して過ごしている様子が伝わってきました。僕は遊技場で「ニンジャを見せて」というリクエストに応え(忍術は出来ないので)居合道を披露しました。藁ホウキで。みんな楽しんでいました。プレゼントは「麦の穂」の自主製品、押し花のメッセージカード。数は足りなかったけど、少しでも癒しになってくれたらと願います。 夜はなんと、ディスコまであります。僕も一緒に踊りました。チェルノブイリ事故は確かに悲惨で悲しい出来事でしたが、当事国では今、子供の命を守ることを最優先課題にしています。日本にも同様の保養施設が必要だと痛感しました。(希望があれば記録映像の上映と報告会をしたいと思います)
【えくぼ第17号(2017年10月1日号)】
第36回:チェルノブイリに行ってきた(2)
チェルノブイリ原発から三十キロ圏内は今も強制避難区域だが、そこで自給自足生活を送る人々がいることはご存知だろうか。避難先で差別を受けたり、都会生活に馴染めずに故郷の村に帰ってきた人たち。彼らはサマショール(わがままな人)と呼ばれている。チェルノブイリ・ツアーで僕が最も楽しみにしていたのは彼らの家を訪問することだった。 荒れ果てた農地と朽ちかけた農家ばかりに見えた廃村の風景だったが、板塀の内側にはロシアの昔話絵本に出てくるような豊かな世界があった。僕が会ったのはイワンとマリアの、やはり絵本に出てきそうな老夫婦だ。庭には放し飼いの鶏や家鴨が気ままに歩き、小さな家には昔ながらのペチカとたくさんのイコン(聖画)。地下倉庫には宝石のように色鮮やかなピクルスの瓶が並んでいた。 マリアは食べきれないほどのピクルスと自家製のウオッカで僕らを歓待してくれた。軽く五十度を越えていそうなウオッカに僕は酔っぱらい、別れ際にマリアにハグした。マリアはとてもふくよかな体をしていて、僕の両手は回りきらなかった。僕は自分の故郷(福島県南相馬市)の人々を思い出して、少し哀しくなった。 サマショールの暮らしがどんなに寂しく辛いものだとしても、少なくとも自分で選んだ暮らしなら、そこに幸福はあるはずなのだ。
【えくぼ第18号(2017年11月1日号)】
第37回:やさしくなあに
ドキュメンタリー映画「やさしくなあに」(伊勢真一監督)は、知的障害のある奈緒ちゃんを八歳の正月から三十五年間にわたり撮り続けた映画だ。僕はこの手の映画の押しつけがましいヒューマニズムに抵抗があって敬遠してきたのだけれど、先日、ある人に勧められて新宿の劇場で観ることになった。感想を先に言っちゃうと、「ああ、観てよかった」と素直に喜べる映画だった。 何がよかったかというと、これは障害者の映画である以前に家族の映画であり、一時間五十分の上映時間に家族は三十五年分の年齢を重ね、子は成長し、親は老い、人間的な弱さに挫いたり喧嘩をしたりの生活の中心に、いつも奈緒ちゃんがいる。たとえ家族が壊れかけている時でも、それとは無縁に元気な奈緒ちゃんがいる。ただそこにいて、とんちんかんなおしゃべりをして人を笑わす。 これはただそれだけの映画で、エンドレスな日常が淡々と続く。そう、それこそ人生のように。時として人生は残酷で、救いなどないように思えることがある。しかし、淡々とした日常そのものが救いであるように思えてくることもある。人生とはそういうものだ。 誰かが喧嘩を始めると、奈緒ちゃんが間に入り「やさしくなあに」と声をかけ続けたという。それがこの映画のタイトルになった。 来年二月に日比谷図書文化館で上映するので、興味のある方はぜひ。お薦めです。
【えくぼ第19号(2017年12月1日号)】
第38回:麦の種まく人
去年の話で恐縮だけど、十二月初めの障害者週間の話をしよう。「麦の穂」では毎年、自主製品の他にアートっぽいものも出品している。さあ、今年はどうする、と訊かれて閃いたのは、ゴッホの「種まく人」。巨大な太陽を背景に、農婦が麦畑に種を蒔いている絵だから、「麦の穂」にぴったりと思ったのだ。 しかしそれが後悔の始まり。ゴッホの絵の強烈な黄色を押し花で表現するのだから大量の花びらが要る。いくらあっても足りない。バイク通勤の行き帰りにも道端に黄色い花を探して走った。花壇やプランターには手を出せないが、冬というのにフリーで咲く花はなかなかない。道端で花を摘んでいると、不審者として通報されないかとひやひやする。菊の花を摘んでいた時は作業員風の男に「食うのか?」と訊かれた。生活に困っている人に見えたのだろうか。 そんな苦労の甲斐あって、どうにか作り上げた「種まく人」(写真)。ほんと、花花花で頭がいっぱいで夜も眠れなかった毎日だった。
【えくぼ第20号(2018年1月20日号)】
第39回:雪かきは楽しい
雪かきは楽しい、と書くと豪雪地帯の人たちに叱られそうだが、年に一、二回程度で済むなら、という条件付きで雪かきは楽しい。 僕は団地に住んでいるので、大雪の翌朝は住人総出で雪かきに精を出す。駐車場から車を出せないと困ったことになるからだが、それはそれとして、ご近所さんとスコップを手にしながら「大変ですなあ」と笑顔を見せ合ったりするのは、気持ちがいいものだ。 翌朝は仕事で雪かきが出来ない時、僕は夜のうちに「これくらいかな」と自分で範囲を決めて済ませておく。人知れず作業をすることになるが、雪かきをしている自分を無性に誉めたくなるので、苦にならない。雪かきした跡をつくづく眺めては誇らしい気分になる。普段の生活で「俺ってエライ」と自尊心に浸ることは少ないが、雪かきだけは別だ。自己満足だとしても、自分が雪をかいた分は、確実に誰かの役に立つのだから。 村上春樹は「雪かき仕事」を、「誰もしたくないけれど誰かがやらなければならないこと」の喩えにした。やったとしても、誰も認めてはくれないし、名前も残らない。でも、だからこそ、雪かき仕事は尊いという。 つまり僕は、村上春樹のこの考え方が好きだから、(比喩なんだけど)雪かきが好きというわけでもあるのだ。豪雪地帯の人たちに叱られそうだけど。
【えくぼ第21号(2018年3月1日号)】