志賀泉さんコラム(2019年度)

第49回:世界最高齢ヤクルトレディ

 日本最高齢ヤクルトレディと、僕が勝手に認定したおばあさんがいた。日本最高齢ならたぶん世界最高齢でもある。ただし何歳なのかは知らない。本物のヤクルトレディだという証拠もない。それでも僕は確信していた。彼女こそ世界最高齢ヤクルトレディだ。
 誰だって最初は目を疑うだろう。毎朝、新宿区四谷の中心街を、九十歳を軽く越えていそうな白髪のおばあさんが、ヤクルトレディの制服を着て、ヤクルト専用のカートを押して歩いているのだ。しかも驚くべきは、彼女は腰を直角に曲げ、両腕を伸ばした状態でカートを押しているため、顔はずっと地面を向いたままで前方を見ていないのだ。そのため僕は何回も何十回も彼女とすれ違いながら、一度も彼女の顔を見たことがない。
 ヤクルトのカートを歩行補助器具代わりに使っているのだろうとお考えのあなた。ではなぜ彼女は制服を着ているのか。そもそもヤクルトレディに年齢制限はあるのか。おそらく彼女は、「ヤクルトおばさん」時代に販売を始め、縄張りを確保すると売り上げは安定し、引退する理由もないので続けているうち、九十歳(推定)を越えレジェンドと化したのではないだろうか。
 僕が四谷で働いていたのは八年くらい前だから、さすがにもう・・・。もしもまだ現役だったら、レジェンドを越えて別の意味の伝説だ。

【えくぼ第33号(2019年4月1日号)】

 

第50回:黄色い旗のある風景

 四谷の街を歩いていた。四谷四丁目の交差点から外苑西通りを北へ向かう、ゆるい坂道。その辺りはいわゆる寺町で、墓地の向こうに大きなマンションが建っている。
 僕は前を歩く幼稚園帰りの女の子を追い越そうとしていた。歩幅が違うから、追い越すつもりはなくても自然とそうなる。ふと見ると、女の子は満面の笑みを浮かべていた。とても幸せそうに、目をキラキラ輝かせて。なぜだろう。女の子は一人で歩いているのだ。
 女の子はマンションを見上げていた。僕は彼女の視線の先を追った。そしてすぐに気づいた。マンションのベランダで若いお母さんが大きな黄色い旗を振っていたのだ。お母さんもやっぱり笑っていた。笑いながら、畳半分くらいの大きさの旗を力いっぱい振っていたのだ。よくわからないが、二人の間でよほど楽しいことが起きたのだろう。女の子は小走りになり、笑顔で僕を追い抜いていった。
 これはただそれだけの話で、この先に何の展開もない。あの親子と僕との間には何の接点もない。黄色い旗の意味もわからない。もしかすると深い意味はないのかもしれない。
 日常のささいな出来事なのに、あの風景は忘れられない。あの親子の笑顔を思い出すと、今でも僕はほんの少し幸せな気分になる。もう十年近くたつのだけれど。
 みなさんにはこんな経験ありますか?

【えくぼ第34号(2019年5月1日号)】

 

第51回:地球はどこにある

 これも四谷で働いていた時の話。
 四谷三丁目の交差点から、外苑東通りを信濃町駅方面に歩いていた。昼下がりの賑やかな時間だ。秋晴れのさわやかな空が広がっている。「ママ、あれって月?」
 男の子の声が聞こえて振り向くと、四歳くらいの子が空を指差している。真昼の空に上弦の白い月を見つけたのだ。「ええ、そうよ」とお母さんが微笑む。
 すると男の子は「じゃあ地球はどこにあるの?」と首をめぐらし、空に地球を探し始めたではないか。
 これには僕も意表を突かれた。図鑑を開けば月と地球はセットで描かれている。ならば実際に見上げる月の隣に、地球があってしかるべきなのだ。
「地球はね、ここよ。○○君が立ってるここ。ここが地球」お母さんは地面を指差す。
「へえ、ここが地球?」男の子は地球の実在を確かめるようにジャンプして足を踏み鳴らし、しゃがみ込んで笑った。「不思議だね」「そうね、不思議だね」お母さんも笑った。
 この母子の会話に僕は感動してしまった。なにしろ、○○君が地球を発見した瞬間に僕は出会ってしまった。○○君の世界が一気に、宇宙まで広がったのだ。お母さんの受け答えもよかった。不思議を不思議として受け入れることで世界は広がる。不思議が消えた世界は縮んでいくばかりだ。

【えくぼ第35号(2019年6月1日号)】

 

第52回:ある日、自販機に

 もしもある日、街角で見かけた自動販売機に、あなたのよく知る人の絵がプリントされていたら、びっくりですよね。ええ、僕もびっくりしました。東京都心を歩いていた時のことです(写真)。この絵の作者は町田市の作業所「ラ・まの」に通う自閉症者のF君。僕の女房が彼を担当しています。実はF君、大の作業嫌い。「それなら絵でも描いてもらおう」とアトリエを創設したのですが、パステルを手にしたF君が次から次に生み出す、個性あふれた動物たちに誰もが目をみはりました。F君が絵を描けるなんて、それまでは家族でさえ気がつかなかったのです。今では外国のコレクターが注目するほどの人気作家です。写真の自販機をデザインしたのは一般社団法人だんだんボックス。障害者のアートを社会に広める活動をしている団体です。
 ほんと、誰がどんな才能を秘めているかわからないものです。つくづく。

【えくぼ第36号(2019年7月1日号)】

第53回:花火大会の思い出

 あの年は、僕の生涯で最も多くの花火大会を見た夏だった。僕は警備員の仕事をしていた。毎週のように、土曜か日曜になるとどこかの花火大会に駆り出され、観客の誘導や会場の警備に当たっていた。真夏日に昼過ぎから始めて夜十時頃まで続くので、傍で見るより大変な仕事だ。
 あれは二子玉川の花火大会だったと思う。会場が観客でほぼ埋め尽くされた頃、浴衣姿の高校生が七、八人、通路に固まっていた。僕が通りかかると、彼らの一人に呼び止められ、手話で話しかけられた。僕はまるで手話を解さない人なのだが、座れる場所を探しているのだな、ということは何となく理解した。
 本来、警備員が特定の観客のために便宜をはかるのは規則違反だけれど、まあいいやと思い、大きなブルーシートを広げて場所取りをしていたおじさんに交渉したところ、心地よく彼らのために場所を空けてくれた。これはただそれだけのエピソードだけど、聾唖(ろうあ)の高校生の礼儀正しさも、おじさんの寛容さも、強く心に残っている。僕は、手話をモチーフにした小説で新人賞をもらったばかりだったのだ。
 耳の聞こえない人はどんなふうに打ち上げ花火の音を「聴く」のだろう。きっと
全身の肌を耳にして、大気の波動を受け止めているのだろうな。十年以上もたつというのに、今も花火の音を聴くたびに、あの夜のことを思い出す。

【えくぼ第37号(2019年8月1日号)】

 

第54回:「復興」の街で

 グーグルマップの衛星写真で見ると、僕の実家(福島県南相馬市小高区)は解体されて影も形もなく、両隣の家に挟まれて赤土をさらしているが、衛星写真は三年前のものだ。現実は写真と逆で、両隣の家が消え、建て替えられた僕の実家が陸の孤島と化して、更地の中にぽつんとある。
「復興」とは、なんて寂しい風景だろう。駅前商店街でさえ空き地だらけだ。表通りから、見えるはずのなかった裏通りまでが見通せてしまう。帰郷するたび、原発事故が奪っていったものの大きさを実感する。
今年の夏、小高の街に新しい施設が出来ていた。昔の呉服屋が「交流センター」に生まれ変わっていた。喫茶店や食堂、貸事務所やトレーニング室、子どもの遊び場まである複合施設だが、その中に、震災前の街並みを復元した立体模型があった。一軒一軒に、「○○さん」「△△屋さん」と表示がある。もちろん僕の家にも「志賀さん」「昔、お米やさん」と手書きの文字。今はなくなった両隣の家も、模型の中では復活している。
 こういう模型は他にもあるだろうし、ニュースで見れば「ふうん」としか思わないだろうが、自分の街となるとやっぱり感激した。模型を作り上げた人たちに、深く深く感謝した。失われたものがここにあると思うと頑張れる気がする。単なるノスタルジィではなく、記憶とは、生きる力なのだと思う。

【えくぼ第38号(2019年9月1日号)】

 

第55回:ビー玉受信機

 町田市の作業所に勤めている女房の携帯電話に、毎週火曜日の夜、利用者のN子さんからメールが届いた。N子さんは、キラキラでカラフルな詩と絵を描くダウン症の女性だ。
 メールの中身は毎回ほぼ同じ。ファミレスで○○を食べ、テレビで火スペ(火曜サスペンス劇場)を見て、モップかけて(自分の部屋を掃除して)、ジャニーズと歌って踊って(これは夢というか願望)という文章が、絵文字満載で送られてくる。女房は毎週楽しみにしていて、携帯の着信音が鳴ると、うれしそうに僕にも見せてくれた。
 ところがある日、特定のスタッフと利用者が親密になるのはよろしくないという理由で、個人的なメールのやり取りは禁止されてしまった。
N子「どうしよう?」、女房「じゃあテレパシーにしようか」、N子「うん、そうする」。
女房は冗談のつもりだったが、N子さんは本気だった。次の火曜日、「N子さんに貰った。受信機だって」と僕に見せてくれたのは、黄色い模様の入ったビー玉だった。「テレパシーが届いたら光るんだってさ」
 テーブルにビー玉を置いて夕食にしたが、ビー玉が光ることは(もちろん)なかった。しかしメールの内容は毎回同じだから、テレパシーの中身も想像はつくというもの。水曜日の朝、「ビー玉光った?」と尋ねるN子さんに、女房は「光ったよ」と答えたという。

【えくぼ第39号(2019年10月1日号)】

 

第56回:好きだった場所

台風十九号の被害に遭われた方には心からお見舞い申し上げます。
僕の家は読売ランドに近い高台にあり、しかも団地の二階だから浸水被害には遭わなかったが、結婚して最初に住んでいた多摩川べりの地域は多くの民家が浸水したらしく、町内会の広報車がボランティア募集をアナウンスして団地内を回っていた。その時、僕は風邪で養生していたが、義理も恩もある土地ではあるし、手を貸そうかなと一度は外に出たものの途端に咳き込み、あえなく撤退した。
病み上がりで「あいとぴあ」に出勤し、最初に多摩川を見た時は、河川敷の一部がごっそり削り取られていることに驚いた。地名で言えば染地になる。根川の水門の西側にあった河川敷は僕が「狛江の原野」と呼んでいた土地で、人があまり
踏み込まないので青草が生い茂り、春は菜の花が咲き乱れ、倒木が根っ子を剥き出し、小川(?)も流れ、野性味たっぷりで、中に分け入ると人工の構造物が目に入らない場所もあり、北海道の湿原かと思えてしまう、僕の好きな場所だったのだ。消滅するとわかっていたら、もっと探検して映像記録を残しておいたのに。
 台風で財産を失った人が聞いたら「なんだそれくらい」と叱られそうだが、東日本大震災でも僕は、故郷の特に好きだった風景をごっそり奪われた。あの時の衝撃を思い出したのだ。

【えくぼ第40号(2019年11月1日号)】

 

第57回:サンタクロースっているの?

 サンタクロースはいるの、いないの? という子どもの質問はきっと、永遠に繰り返されるだろう。それにどう答えればよいのか、親たちの悩みもたぶん永遠のものだろう。
もう何年も前になるけれど、落合恵子さん(作家・クレヨンハウス主宰)の講演がいまも忘れられない。それは「いる・いない」ではなく信じることの大切さを説く話だった。
サンタクロースを信じていた君も、やがてサンタクロースはいないことに気がつく。すると、君のとなりに空席が生まれるだろう。君はがっかりして、さびしく思うかもしれない。
しかし、やがてその空席に、友だちや恋人など、君の大切な人がすわるようになる。サンタクロースを信じるということは、つまり、大切な人のための空席を用意することなんだ。そのために、信じることは必要なことなんだ。
 たしかこんな内容だった。大人にとっても素晴らしい話だと思う。元ネタの絵本があるはずだが、ネットで調べても出てこない。その代わり、子どもの質問への最高の答えと紹介されていたのが、『サンタクロースっているんでしょうか?』(偕成社)だった。八歳の女の子が新聞社に手紙を書いて質問し、ニューヨークの新聞社が社説で回答した。その社説が絵本になって、いまもベストセラーを続けている。こちらも「いる・いない」ではなく、信じる心が人生を(世界を)豊かにするのだと説いている。

【えくぼ第41号(2019年12月1日号)】

 

第58回:三部作完結!

 毎年十二月上旬、狛江市役所で催される障がい者週間に、わが麦の穂では共同製作の大作を発表している。自作の手漉き和紙に押し花を貼りまくり、麦畑の風景を印象派風の絵に仕立て上げるのだが、三部作になっており、「種まく人」「成長の時」ときて、今回は晴れて完結編、「実りの時」を迎えた。いやあ、例によって自画自賛。素晴らしい出来だ。(パチパチ)
 いちおう、この絵にはストーリーがある。農場主の令嬢に恋心を抱いている農夫が、散歩中の令嬢に「こんなに立派に育ちました!」と声をかけている。収穫の喜びを分かち合いたいのだ。しかし身分を越えた恋は実るのか? それはみなさんの想像におまかせだ。でもなあ、厳しいだろうなあ。『チャタレイ婦人の恋人』じゃないんだから。

【えくぼ第42号(2020年1月20日号)】

 

第59回:きわめてよい授業

 去年の話で恐縮だけど、水害の話。
豪雨の数日後、多摩川の土手にすわりスケッチをしている小学生のクラスがあった。川はにごり、水かさが増し、土手には打ち上げられた流木やゴミが散乱して、あまり安全と言える状態じゃない。なぜ、と首をひねったが、後になって考え直した。見慣れた風景がたった一日の雨風でこんなにも変貌するのだと、自然の猛威を記憶に刻み込むことは、彼らの人生にとても役立つことだし、しっかり刻むためには、精密機械より自分の目と手を使うスケッチの方が、はるかに有効なのだ。
その数日後、同じ土手に別の小学生たちがいた。もちろん土手は荒れたままだ。最初はゴミ拾いをしているのかと思ったが、違った。男の子が何かを発見し、「先生、これ」とプラスチックゴミを拾ったが、先生は「そんなものはどうでもいい」と一蹴したのだ。「みんな見ろ。これは○○グルミだ」と、先生は植物の種を拾い上げ大発見のように興奮していた。「山にしか生えない植物だ。それがここまで流され、根づいて育っていくんだ。これが自然なんだ」
 僕らは人間目線で暴風雨を見るから「害」としか考えないけど、見方を変えれば、そこには絶えず流動し破壊と再生を繰り返す自然のダイナミズムがあるのだ。
 僕はたまたま通りかかったのだが、えらく感動した。きわめてよい授業だった。

【えくぼ第43号(2020年3月1日号)】