第69回(最終回):縁あって
人と同じく、職場も縁あってのものだと思います。いくら待遇がよくても縁がなければ毎日が不毛で長続きしない。逆に少々待遇に不満があっても縁さえあれば豊かな経験を積めるし、長続きするものです。そういう意味で、狛江の今の職場は良縁だったよなあと思います。縁がなければ、社協の非常勤に過ぎない僕が、情報紙に七年近くもコラムを連載するわけがありません。 作家といっても僕は寡作だし売れっ子でもありません。そんな僕でも作家のプライドを固持してこれたのは、小さな情報紙とはいえ連載を持っていたことと、一定の読者が常にいたからです。作家は読者の支えがなければ作家として存在できません。読者が作家という存在を作るのです。僕はこの春、四年ぶりの新刊を出版しますが、それもこのコラムの読者であるみなさんのおかげなのです。 来年度から情報紙「えくぼ」と「わっこ」が統合することになり、私の連載コラムはこれが最終回になります。残念ですが、わずかでも狛江市に貢献できたことは、これからも僕の誇りになるでしょう。最後になりましたが「こまえくぼ1234」のスタッフと「えくぼ」の読者のみなさんに感謝を申し上げます。長い間、ありがとうございました。
志賀さんには、2014年5月、こまえボランティアセンター「こまえボランティア情報」の頃からコラムの掲載を続けていただきました。これまで69回の心あたたまるコラム、ありがとうございました。 (狛江市市民活動支援センターより)
【えくぼ第53号(2021年3月1日号)】
第68回:赤べこを作ろう
今年は丑年ですね。私の故郷、福島の郷土玩具、赤べこもブームみたいですよ。というわけで、麦の穂でも張り子の赤べこを作ってみました。 作り方は、①牛乳パックの紙をミキサーにかけて紙粘土状にし、牛の型を作る。②型の上にティッシュペーパーを貼りつけて形を整え、さらにサランラップを貼りつける。(後で剥がしやすくするため)③さらにティッシュペーパーを何枚も重ねて貼り、洗濯糊で固めていく。④乾いたらカッターでまっぷたつ。中の粘土をほじくり出す。⑤サランラップも剥がせばティッシュの張り子が残るので、接着剤で接合。(首と胴を別々に作ると良い)⑥麦の穂では、男性は自由に色塗りし(上)女性は水彩で染めたティッシュを貼りつけ(下)完成。 意外と簡単に作れます。ステイホームの時間、みなさんも作ってみては?
【えくぼ第52号(2021年1月20日号)】
第67回:クリスマスについて
クリスマスの夜、世界中の(イスラム圏などは除くとして)お父(母)さんが一斉に子どもの枕元でごそごそ始める、この異様な儀式を宇宙船から観察している火星人に、「あれ何やってんの?」と訊かれたらどう説明するか。内田樹という思想家が『困難な成熟』(夜間飛行刊)という本の中で、問いを立てています。 考えてみると不思議ですね。親たちは自分が贈り主だと隠し、サンタさんからの贈り物だと子どもに信じさせることに喜びを感じる。見返りを求めない。では、やがてサンタの正体が親だと知った子どもたちは、どうやってお返しするのかというと、自分の子ども、つまり次の世代に贈り物をすることによって借りを返していく。この、贈与と返礼のサイクルこそが人間社会の本質なんだと、内田さんは言います。僕に子どもはいませんが、それでも何らかの形で社会にお返ししています。みなさんも日々の営みの中で、無意識にせよ、しているはずです。 これはきれいごとじゃなく、立派な経済学の話です。人間は贈与と返礼によって経済活動を始め、人間的な社会を作り上げていったという贈与経済論は、わりと新しい経済理論です。ちなみに『困難な成熟』の中で以上のことを説いた章のタイトルは、「贈与の訓練としてのサンタクロース」です。コロナ禍で行き詰まった社会をどうやって「人間的に」取り返していくか。そのヒントがここに隠れているかもしれません。
【えくぼ第51号(2020年12月1日号)】
第66回:みかん畑で働いて
秋ですね。みかんのおいしい季節になりました。そして、クモの巣が目につく季節でもあります。ぼくは女郎グモの大きな巣を見かけるたび、おいしいみかんを思い出します。 ぼくは昔、愛媛県の自然農園でみかんの収穫を手伝ったことがあります。そのみかん畑はたくさんの女郎グモが巣を張っていました。仕事に入る前、「巣を壊さないよう」注意を受けました。なぜかって、クモが害虫を食べてくれるからです。農薬を使わないその農園ではクモをとても大切にしていました。パートのおばさんたちも、「クモってきれいだよね。よく見るとかわいいんだよ」とおおらかに笑っていました。 休み時間には、摘んだばかりのみかんをみんなで食べます。昔、「愛媛のまじめなジュースです」というみかんジュースのCMがありましたが、まさに「まじめなみかん」の味がしました。そういうわけで、ぼくは今でも女郎グモを見るたび、おいしいみかんを思い出すのです。 ぼくは若い頃、日本中を貧乏旅で歩いていた時期があって、これもたくさんある思い出のひとつです。クモって「不快害虫」と呼ばれることもありますが、本当は益虫なんですね。旅のいいところは、さまざまな人との交流を通じて、いろんな価値観を学べることです。早く新型コロナが収束して、のびのび旅ができたらいいですね。
【えくぼ第50号(2020年11月1日号)】
第65回:郵便ポストに祈る
行きつけのコンビニの横に郵便ポストがあります。先日、そのポストの前でヤンママ風のお母さんと幼い姉妹がしゃがみ、封筒に切手を貼っていました。何気なく様子を見ていると、三枚の切手の値段を足し算して料金が足りていることを親子で確かめ(軽く算数の勉強をして)ポストに投函してから、なんとパンパンと柏手を打ち、「ジイジにちゃんと届きますように」と祈ったのです。 たぶん、コロナのために帰省できず、会えなかった田舎のジイジに宛てた手紙だろうな。「届きますように」という祈りは手紙が届くだけじゃなくて、気持ちが届きますように、という祈りだったんだろうな。そんな想像をして、心が少しほっこりしました。 メールだったら手を合わせたりしません。送信ボタンを押して終わりです。手紙だから祈ったんですよね。ポストも赤色でちょっと神社っぽいし。 思い出したのは、別のポストですけど、男の子が葉書を投函してから手を合わせ、「ママの願いが叶いますように」と声に出して祈っていたことです。その子は顔を上げてからぼくと目を合わせ、ちょっと照れ臭そうな笑みを浮かべました。ママの願いって何なのか知りませんが、願いが叶っていたら、僕のお祈りのせいだよ、と得意になっていたかもしれません。もう何年も前の話ですけど、これも忘れがたい光景です。
【えくぼ第49号(2020年10月1日号)】
第64回:あるがままのアート
Eテレで毎週水曜日、22時45分に放映されている「no art, no life」をご存知ですか? たった5分枠の番組なので見逃している人も多いかも。しかしこの5分間がとてつもなく濃密なんです。知的障害者・精神障害者が生み出すアートを、彼らの生活と共に紹介する番組ですが、それらはもうアートの枠を越えて、生の衝動そのものと呼んでもいいし、原初的エネルギーと呼んでもいいし、自分の世界を際限なく増殖させたり、同時に極限まで細分化したり、これはもう作品を見てとしか言いようがないのです。私たちがそこで出会うのはアート作品というより、人間が生きることそのものの凄みであり、謎であり、苦しみや喜びであり、「人間とは何か」という問い直しなのです。 抽象的な言葉ばかりでごめんなさい。実は先日、番組で紹介した作品を集めた「特別展 あるがままのアート」を、上野の東京芸術大学美術館へ観に行って衝撃を受けたばかりなのです。本当、今までの常識がひっくり返るような体験でした。入場無料ですがコロナの関係で完全予約制です。お客さんが密になると係員が飛んできて間隔を広げます。9月4日までなのですが、ネットで検索すれば作品の画像を見ることはできます。でも、できれば実物を見てほしい。いわゆる障害者の、豊かな心の世界を知るためにも。
【えくぼ第48号(2020年9月1日号)】
第63回:ひこばえパン屋さん
私はよみうりランド近くの団地に住んでいるが、歩いて行ける距離に五重塔(香林寺)がある。それだけでも私は果報者だが、その途中にある「ひこばえパン屋」が、以前から気になっていた。なぜかといって、看板のイラスト(写真)が素晴らしいのだ。世の中に看板は無数にあるが、見ているだけで幸せな気分になる看板はそうそうない。「ひこばえ」は「孫生え」の意で、切り株から生える芽のこと。大きなものに守られながら育つ、しなやかな生命を感じないだろうか。 実はこのパン屋さん、知的障害者の就労施設わーくはうす・ひこばえが運営している。パン部の他に工芸部・農業部もあって、パンと一緒にグッズや野菜も販売している。平日の日中しか営業してないので、気になるばかりでパンを買えずにいたのだが、先日、有給休暇をもらい買いに行ったのだ。 うん、値段も味も、看板を裏切らなかった。まさに「ひこばえ」だ。小田急線読売ランド駅から徒歩15分。開いている曜日と時間はHPでチェックしてください。(3月13日に執筆)
【えくぼ第47号(2020年8月1日号)】
第62回:コロナの時代に
今回はオススメ本の紹介です。 『弱さの思想』(大月書店)。「弱さの研究」を共に始めた作家の高橋源一郎と文化人類学者の辻信一との対談集です。二O一四年出版ですから三・一一を強く意識していますが、ここで語られていることは「コロナ以後の社会」を考える上でも大きな指針になるはずです。 では、「弱さの思想」とは何か。重要なキーワードに「敗北力」があります。負ける時にはちゃんと負けること。弱さを肯定し抱きしめること。弱さの中に価値を見つけ、強さへと転化していくこと。それが敗北力です。 終戦も原発事故も敗北でしたが、日本はちゃんと負けることが苦手な国です。強者の論理で敗北を乗り越えようとしたため、本質的な変革はできず、再建したのは旧態依然の社会でした。効率を優先する社会システムの予想外の脆さを「敗北」と認めれば、日本はエコロジカルな社会に舵を切ることもできたのです。 コロナ・ショックも、単に「克服すべき災厄」と捉えてしまえば苦難の記憶だけが残ります。しかし「強者の論理=弱者の排除」が今ほど通用しない時代は、世界史的に見ても初めてだと思います。「マスクをつける=自分を守ることは他人を守ること」つまり「大いなる利己は利他に通じる」が世界的な共通認識になった時代も初めてなのです。人類史的に見ても貴重な時代を私たちは生きています。それだけは忘れたくないものです。
【えくぼ第46号(2020年7月1日号)】
第61回:よくわからないけど役に立つこと
僕が「妖怪アマビエ」に出会ったのは近所のお寺の山門に絵が貼ってあったからで、「江戸時代の妖怪で、この絵を人に見せると疫病除けになる」らしい。江戸時代の人が描いたのに、現代の小学生がノートの隅に描いたみたいにカワイイ。調べて見たら、すでにアマビエ様はウイルスに負けない勢いで全国に拡散し、様々にアレンジされて手作りグッズも出ていたのだった。麦の穂にも、僕はこの絵をプリントして飾っている。 実際、アマビエの絵がコロナ予防に効果があるかというと、ない。ないけれど何かの役には立っていて、その「何か」とは何かを問われると、よくわからない。よくわからないけど役に立つものを大切にする社会こそ健全な社会だと僕は信じる。有益なものだけ認めて、他は無駄だからと排除する社会は衰退するよ、絶対に。
【えくぼ第45号(2020年6月1日号)】
第60回:映画「星に語りて」
作品の完成度はともかく、多くの人に観て欲しいと思わせる映画があります。「星に語りて」(製作きょうされん 監督松本動 脚本山本おさむ)は、そんな映画のひとつです。 東日本大震災は多くの人の日常を奪いましたが、障害者とそのご家族が経験した苦難は特別でした。急激な環境の変化によりパニックを起こす知的障害者や、トイレに入るのも困難な身体障害者や高齢者が、避難所生活を諦め、半壊した自宅に戻り不自由な生活を送っていました。いわゆる「消えた被災者」問題です。「消えた」とは、避難所に彼らの姿がないのに、行政が実態を把握できなかったという意味です。居場所がわからなければ水も食料も届けられません。三日間、何も食べられなかった人もいたそうです。 この映画はフィクションですが、支援者が「消えた被災者」を探して苦闘した実話を元にしてします。忘れてならないのは、決して過去の話ではないし、他人事ではないということです。日本各地で地震や水害が発生する度、同じ問題が起きているのです。誰でも避難者になる可能性があります。今は健康な人も、怪我や病気で不自由な身体になるかもしれません。あなたが高齢者になった時に、南海トラフ地震が起きるかもしれないのです。 この映画は自主上映によって公開されています。ご覧になりたい方はHPで検索してみてください。
【えくぼ第44号(2020年4月1日号)】