志賀泉さんコラム(2018年度)

第40回:パラリンピックの影で

 僕の遠縁にあたるTさんは、子どもの時に小児麻痺にかかり下半身不随になり、生涯の大半を車椅子で送ったが、病院で知り合った看護師と結婚し子宝にも恵まれた。根がポジティブで、アクティブな人でもあり、車椅子マラソンや車椅子バスケなどのスポーツに精魂傾け、大会があれば日本中を飛び回っていた。積極的に人生を楽しんでいた人だったと思う。
 ところが、オーバートレーニングがたたったのだろう。両腕が重度の腱鞘炎で動かなくなった。下半身不随の上に両腕が使えない。これはほとんど致命傷に等しく、まさに身動きがとれない状態で、ほとんど寝たきりの状態だった。
 しかも市販の鎮痛剤を飲みすぎて胃潰瘍になり、精密検査で見つかった癌が原因でTさんは亡くなった。六十を少し超えた歳だった。幸い、奥さんの頑張りで子どもはすくすくと育っている。もちろん心残りはあっただろうが、充実した人生を送ったのではないかと思う。
 それにしても、障害者アスリートが故障をすると、その辛苦は想像を絶するものがある。平昌パラリンピックをテレビで見ていて、Tさんを思い出すことが多かった。パラリンピックはもちろん、私達に勇気と感動を与えてくれる。けれどその影で、体の故障に苦しむアスリートも実は多いのではないか。体力の限界に挑戦し、肉体を酷使する、その姿は確かに美しいのだけれど、体を壊し消えていった人も確かに存在するはずだ。マスコミが取り上げることはないだろうが、彼らのことを思うと複雑な心境になる。

【えくぼ第22号(2018年4月1日号)】

 

第41回:ぼくと魔法の言葉たち

 三歳の時に言葉を失った自閉症の少年が、ある日、ディズニー・アニメのセリフ「声を返せ」(『リトル・マーメイド』)を口にしたことから奇跡的に言葉を取り戻す。その後も彼はディズニー・アニメの世界を自分の中に取り込むことで言葉の世界を広げ、自分を表現していき、家族愛に包まれながら、自立していく。ドキュメンタリー映画『ぼくと魔法の言葉たち』(2016年アメリカ)は、感動的であると同時に、「心と言葉」、「言葉と世界」について考えさせられる不思議な映画でした。
 ディズニー・アニメのセリフをほとんど暗記している彼は、ディズニー・アニメの世界を通じて現実の世界を獲得することができたのです。心理学者によれば、それは「ディズニー・アニメの台本に限定された世界」なのですが、ディズニー・アニメの豊かさが、彼の心を豊かにしているのも事実です。
 二十三歳になった彼は「脇役には面白いキャラクターが多い」と言って、「脇役がヒーローを探す物語」を書いています。自分もまた、この世界では「脇役」なのだという意識があるのかもしれません。けれど言うまでもなく、このドキュメンタリー映画の主役は彼なのです。

【えくぼ第23号(2018年5月1日号)】

 

第42回:『柿の種』から

 よい文章に出会うと忘れていた記憶がひょいと甦ることがある。寺田寅彦の随筆も、そんな文章だ。寺田寅彦は明治生まれの物理学者にして、夏目漱石門下の随筆家でもあり、人間観察と自然観察が溶け合った滋味深い文章を書く。
 『柿の種』(岩波文庫)に、たとえばこんな話がある。皮膚病を患い「身の毛もよだつ」顔をした男が、かわいい女の子をおぶっていた。女の子が「おとうちゃん」と呼び片言で話しているのを見て、「私は、急に何物かが胸の中で溶けて流れるような心持ちがした」。
 これだけの話だ。解説はいらないだろう。
 この話を読んで僕が思い出したのは、三十年くらい前、本屋に勤めていた頃に出会った親子だ。レジに立っていると、四十歳前後の女性が僕に何か尋ねてきた。しかし彼女は言葉に障害があるらしく、うまく聴き取れない。困っていたら、横に立っていた十歳くらいの男の子がすっと前に出て、はつらつとした声でお母さんの代弁をしてくれたのだ。たぶん、こんな場面を何度も繰り返してきたのだろう。男の子は誇らしげな目をしていた。お母さんの役に立っていることがいかにも嬉しそうだった。
 長い間忘れていたが、記憶は消えたわけではなかった。あまりにささやかなので、心の隅でほこりを被っていたのだろう。『柿の種』の文章がほこりを払ってくれたのだ。それにしてもあの男の子、どんな大人になっているのだろう。

【えくぼ第24号(2018年6月1日号)】

 

第43回:広島のお婆さん

 前回も書いた通り、僕はかつて本屋で働いていた。大型店ではなく町の本屋さんだ。町の本屋さんにはいろんな人が訪れる。精神を病んだ人や知的に障害のある人も多く、僕はそんな人たちの話し相手にもなっていた。
 広島生まれのお婆さんは、知的に障害のある娘さんを連れて月に二、三回、『あさりちゃん』という子ども向けコミックを買いに来店していた。お婆さんは九十近く、娘さんは五十過ぎだったと思う。
 コミック売り場は二階にあった。お婆さんはえっちらおっちら階段を上り、二階に到達すると、平台に置いたコミックに腰を下ろし足腰を休めた。僕が慌てて椅子を差し出しても、「どうぞおかまいなく」と丁寧に断った。
 『あさりちゃん』は何十巻もあるが、同じ巻を何冊も買っていたはずだ。買ってもらった『あさりちゃん』を手に、ニコニコしている娘さんを見るのがお婆さんの楽しみなのだ。
 お婆さんの話すところでは、原爆を落とされた時はお腹に子がおり、胎内被曝の影響なのか、生まれてきた娘さんは知的に障害があったという。「この子が生きているうちは死ねない」と話していたが、お婆さんは2001年に亡くなった。その後も娘さんは元気で、お姉さんに連れられて本屋に通っていた。
 振り返ると、町の本屋は住民の出会いの場でもあったんだと思う。そんな本屋は、今ではもう少なくなったけれど。

【えくぼ第25号(2018年7月1日号)】

 

コラム作者 志賀泉さんからのお知らせ

 こまえ市民大学で語ります
 今回はイベント告知させてください。
こまえ市民大学で上映+トーク会を行います。チェルノブイリでは原発事故から32年たった今でも影響は続いています。では、7年後のフクシマは今どうなっているのか。両者を比較しながら語りたいと思います。
上映「『チェルノブイリの祈り』をめぐる旅」(50分)

*撮影・編集 志賀泉
フクシマはスライドを交えて語りたいと思います。どうかお気軽にご参加ください。

●日時 8月25日(土)午後2時
●場所 狛江市中央公民館2階講座室
●内容 チェルノブイリ・フクシマ
映像と文学で語る福島のいま
●受講料 200円

【えくぼ第26号(2018年8月1日号)】

 

第44回:まこちゃんのラーメン

 四十一歳まで僕が働いていた本屋は、駅前にある典型的な「町の本屋さん」だ。個人経営の本屋は今、大型書店に押され、通販に押されて数を減らしているけど、振り返ってみると町の本屋さんは、地域の人々が気軽に集うコミュニケーションの場でもあった。特に知的障害者や認知症気味のお年寄りは、決して拒まれないという安心感から気安く店員に話しかけてきた。話の中身は毎度毎度同じだが、こちらも商売柄、丁寧な対応を心掛けていたのでなおのことうれしかったのだろう。
 まこちゃん(三十代・女性)は軽度の知的障害者で、作業所に通っていた。社交的な彼女は毎日のようにやって来ては僕をつかまえ「お昼何食べた?」「お給料もらった?」と同じ質問をした。彼女は週に一回、作業所で受け取る工賃でお母さんにラーメンをごちそうする。それが最高の楽しみなのだ。ラーメンを食べた帰りは、必ず来店して僕に報告する。「志賀ちゃん(僕をそう呼んだ)はお給料もらった?」「いや。僕は月に一回しかもらえないんだ」「かわいそうに」そんな会話を交わすのも、彼女にはイベントの一部なのだ。
 彼女は軽度なので自分と他の人との違いを理解している。「まこちゃん(自分をそう呼ぶ)は病気だから結婚できないんだ」と口にすることがあり、そんな時はさすがに不憫に思った。
 当時は僕も結婚できなかったけど。退職してからまこちゃんに会ったことはない。あの本屋も今では空き店舗だ。

【えくぼ第27号(2018年9月1日号)】

 

こまえ市民大学講座(8/25)のご報告『満員御礼』

 「満員御礼」って、大相撲じゃないんだから。しかも日頃、講演会は人数じゃないって言っておきながら。それはともかく、先月のこまえ市民大学講座「チェルノブイリ・フクシマ」は定員50名を越える来場者でした。来られた方、また、来られなかったけど応援してくださった方、ありがとうございました。
 狛江は言わばホームグラウンドですから、初めから会場の空気が暖かく、話しやすかったのです。こういう会は、来場者が真面目すぎると空気が硬くなって、こちらの舌も回らなくなるものです。僕の映画にはちゃんと「笑いをとる」場面があって、そこで観客が笑ってくれるか否かで講演のノリも変わります。そういう意味では芸人と同じなのです。
 上映+講演会を開くと、福島県人や避難者の方とお会いできる楽しみがあります。また、思いがけない人と再会することも多いのです。狛江では、高校時代のクラス担任(美術教師)の奥さんとお会いすることができました。卒業から四十年近くたっています。しかも奥さんとは一度お会いしたきりなのです。先生は震災前に亡くなられました。奥さんは避難先の世田谷区にある砧図書館で講座のポスターを見かけたのだそうです。
 このような縁を作って下さいました市民大学講座の関係者の方々に、あらためてお礼申し上げます。もちろん来場者、非来場者の皆様にも、ありがとうございました。

【えくぼ第28号(2018年10月1日号)】

 

第45回:本屋は本を作らない

 本屋時代のエピソードをもう少し。小さな子供の中には、だんご屋か豆腐屋のように本屋が本を作って売っていると思い込んでいる子もいる。だから「本作ってるところ見せてよ」「うちでは本を作っていないよ」「けちんぼー」というやりとりがあったりする。
 ダウン症の小学生M君にも似たような思い込みがあり、本屋が本を作っていないとしても、本屋は作者に対しダイレクトに意見を言える(そして作品そのものを左右させる)地位にあると信じていた。当然だがそのような事実はまったくない。M君は『ドラゴンボール』の大ファンだった。ストーリー展開が気に入らないと「書き直すよう鳥山明先生(作者)」に言ってください」と、店長である僕に詰め寄っては仕事の邪魔をした。
 ある日、あまりにしつこいので事務室に通し、少年ジャンプ(『ドラゴンボール』を連載していた雑誌)編集部に電話をかけてM君と話をさせた。ちなみに、彼の要求は非常に込み入っていて話を聞いただけでは理解できない。編集部は困ったろうが僕の知ったことではない。電話を終えたM君はきらきら目を輝かせて僕を見た。僕は鼻高々だ。
 しかしそれが間違いだった。M君は毎日のように事務所に入ってきては微に入り細を穿つような指摘をし、編集部に電話するよう要求し始めたのだ。困った。えらい困った。
 しかし、M君は中学に進学するとぱったり顔を見せなくなった。さて、M君に何が起きたのか? 続きは来月で。

【えくぼ第29号(2018年11月1日号)】

 

第46回:その後のM君

 さて、先月の続きである。
 本屋の事務室にたびたび現れ、仕事の邪魔をして僕を困らせていたダウン症のM君が、中学に進学するとぱったり来なくなった。来れば困るが、まったく来ないとなると、それはそれで少し寂しい。
 ところがだ。半年ほどたったある日、日曜日の夕方にテレビの報道番組を見ていた僕は、テレビの中にM君を見つけたのだ。なんと彼は、小平市の公立中学校で吹奏楽部に入部し、ティンパニー奏者として注目を浴びていた。テレビは、コンクールの大舞台で堂々とティンパニーを叩くM君の姿を映していた。入学早々、彼のリズム感の良さに気づいた音楽教師が、吹奏楽部に勧誘したのだという。音楽で自分を表現することを知ったM君は、もう「ドラゴンボール」どころではなかったのだ。演奏後、インタビューを受けたM君は澄ました顔で、ぼそぼそとアナウンサーの質問に答えていた。
 僕は恐れ入ってしまった。まったく、誰がどんな才能を秘めているかわからない。もし音楽教師に「障害者だから」という偏見があったら、M君の才能を見過ごしていただろう。
 才能とはある意味、「生きる喜び」そのものかもしれない。「喜び」が特定の形で表現される時、それが「才能」と呼ばれるのだ。
 あれから二十年近くたつ。M君は三十五、六歳のはずだ。今頃どうしているだろう。

【えくぼ第30号(2018年12月1日号)】

第47回:麦の種まく人

 十二月に狛江市役所で催される障がい者週間の展示に、僕の勤める「麦の穂」では毎回、共同制作の作品を発表する。昨年は押し花で描いたゴッホの「種まく人」。おかげさまで好評を博し、それなら三部作にしようということになり、今年は青々とした麦畑を描くことに決まった。タイトルは「育てよう希望の苗」。
 毎度のことながら大変だった。女性スタッフが油彩で下絵を描いてくれたのだが、押し花で麦畑の遠近感を表現するのは至難の技。はっきり言って無理。無理無理無理。頭を抱えた。今回ばかりは逃げ出したくなった。
 しかし僕は自称「崖っぷちに強い人」なのだ。アイデアがひらめいた。緑系の毛糸を一本一本、放射状に紙に貼りつけ麦畑を描けばいいのだ。単純作業だから「麦の穂」メンバーもできる。ルノアール風の貴婦人には押し花をあしらい、完成した作品は見事に印象派の絵となった(写真)。自画自賛。たいしたものである。来年は完結編「実りの時」を予定。今から言っておくが、無理。無理無理。

31号

【えくぼ第31号(2019年1月20日号)】

第48回:おすすめはムーミン

もしもあなたが、小中校生にお薦めの本を一冊選びなさいと言われたら、何を選びますか。そして三分以内にその本を紹介しなさいと言われたら、何を話しますか。僕は『ムーミン谷の彗星』を選びました。フィンランドの作家、トーベ・ヤンソンのムーミン・シリーズ二作目です。ムーミンはみなさんご存知でしょう。テレビアニメを観た、という方も多いのでは。実は、原作は明るい話ばかりでなく、不安や憂鬱(ゆうつ)の色濃い話も多いのです。それは作者が、生きることの難しさにきちんと向き合っているから。特に『彗星』はムーミン谷に彗星が迫ってくる話で、第二次大戦中に祖国がソ連やナチスドイツに占領された経験が作品の背景にあるため、全体的に暗いのですが、それだけに哲学的でもあるのです。
 なぜ今回はこんな話をしているのかというと、僕が所属する日本文芸家協会が、子どもに本を読んでもらうための取り組みとして、ユーチューブで本の紹介をしているのです。僕が選んだのは『ムーミン谷の彗星』でした。
 実は、僕がムーミン・シリーズに出会ったのは三十五歳です。なぜ出会ったのか。どうして夢中になったか。興味のある方はユーチューブを見てください。「日本文芸家協会志賀泉」で検索できます。六本木ヒルズの専用スタジオで収録してます。

【えくぼ第32号(2019年3月1日号)】